October 04, 2009

誰そ彼終了!、遠野奇談、写真と民俗学

*「昨日は誰そ彼 Vol.15でした。御来場くださったお客様、御出演してくださった皆様、スタッフの皆さん、どうも有難うございました。

詳しい内容は後ほど誰そ彼サイトのほうに "たそがレビュー" 書きますが、簡単にレポートを。

たそがれFM受信中

今回は渋温泉の音泉温楽で導入予定の新要素、『たそがれFM』の試験放送を行なってみました。堂内の音(ライブやDJ)をFMでとばして、FMラジオで受信できるようにするという試み。お寺で借りたG-SHOCKっぽい時計付きのイカしたラジカセをテラスに置いて、それで堂内の演奏を流しました。ただやはり、あまり出力をあげると違法になってしまったり、東京タワーが程近いというのもありなかなかクリアーには受信できず。範囲も限られておりました。渋には東京タワーないからもう少しいけるはず。

そんな事で準備段階から盛り上がっていたわけですが、本編で今回は久々にしっかり選曲をやりました。この頃、色々どたばたしちゃうのでライブ間の選曲が疎かになっていたのはイカンと、ちゃんと選曲順序を考えてレコードをかけたのです。
僕の選曲リストは以下の通り。

細野晴臣 / プリオシン海岸
itoken trio / tract
antena / camino del sol
小沢健二 / back to back
Naturally Gushing / Yukemuri Ryojo
Yo La Tengo / I'm Your Puppet
New Order / Your Silent Face

[Closing BGM]
ONJQ / Eureka

ライブは三者三様に素晴らしかったです!
Do The Robotは、彼らのアーティスト写真のように向かい合って椅子に座した状態での、シューゲイザーサウンド。永遠に続くかと思える音の波の合間から顔を出してくるメロディーが切ない。実際の年齢は聞いてないのですが、恐らく僕らより若いのではないかというステキな夫妻でした。

Rocket or Chiritoriは僕としては待望の御出演だったのですが、これも凄く良かったです。御本人もロケチリ史上最高のデキとおっしゃっていたので、嬉しい限りです。毎回、編成を少しずつ変えて演奏されているようですが、やはり中心にあるのは柴原さんの歌。そしてサポートするお二方も良い味を出していて、3人が楽しんで演奏されている感じが伝わってくるライブでした。
ルシャス・ジャクソンのメンバーの別バンドのカバー(?)に始まり、"Beyond the map"や"Tell me"など、本当にいい曲ばかりで大満足。同じ世代を生きてきた人の音楽だなあと、つくづく感じます。また是非御出演して頂きたいです。

The Rational Academyも凄かった!普段はバンド形態でSonic Youthのような轟音ライブを繰り広げているという彼らですが、今回はお寺なので、夫婦二人+Macという編成で静かな演奏をして下さいました。
二人の歌が凄くいい。そしてギターの音の深みというか、奥深さが果てしないです。いつもは恐らく激しさの中に美しさを見せるような演奏をされているのでしょうが、今回の編成では美しさ丸出しなので、聴いているうちにこれはこれでとてもスペシャルなライブだなあと、贅沢さを思いました。本当にありがとうございます。

ブリかま鍋

打ち上げはいつものように盛り上がりました。たそがれ料理長の料理僧KAKUさんが予算オーバー覚悟で購入してきてくださった、金目鯛やぶりかまをでっかい鍋で煮込んでいただく。これが本当においしい!!
毎回思うのは誰そ彼の打ち上げで食べるご飯(白飯)がうまい。でっかい釜で一気に炊いたお米は本当にうまいんだなあ。普段の三合炊きの電気釜とは全然違う。出演者の方々にもおいしく食べて頂けたようで良かったです。

英語の苦手な僕がこの所ハマっているのが、打ち上げでの外国人アーティストとの国際交流です。酒の勢いだけのデタラメ英語ですが果敢にトライしてみると、意外に通じるものですね。5月に来たスイス人のAndrea Valviniとの親交に味を占めて、今回も恒例の「What the meaning of "TASOGARE"」というテーマからRational Academy夫妻に切り込んでいきました。オーストラリア編スタート。

新ネタの「Do you know japanese "YOKAI"?」にも結構興味を持ってくれて、Japanese Monster or Fairy or Ghost or God...と説明したら、奥さんが「"YOKAI" is good Fairy? or bad Fairy?」なんて聞くもので、「Both」と答えました。
彼女はキティ好きらしくストラップを見せてきて、キティもある意味妖怪だねーみたいなテキトーな話もしてしまったのですが、「Kitty is good Fairy!」と言って盛り上がってくれたので、そこですかさず「Yes, we love "YOKAI"!!」と、半ば強引に妖怪好きの仲間に引き込みました。

TRA、DTRからの頂き物の数々

共通の言語となるのはやっぱり音楽ですね。レコードを見せるだけでかなり話が広がるという新テクを身につけました。Daydream Nationのライブ録音盤を自慢したり、最後にかかったEurekaは誰がやってるの?と聞かれたので、大友良英さんだと教えてあげたり。
そしたら、彼らのCDや7inchを色々とくれて、二人がまるで自分達の子供を紹介するかのように、「この曲とこの曲がオススメで、今日やったのはこれとこれ」とか、「こっちは33回転だけど、こっちは45回転だから気をつけてね」とか「これは僕がカバーを失くしてしまったから、ジャケなしです…」とか熱心に話してくれて、なんだかうれしくって思わず涙が出そうに。。。
この御好意に非常に感激したので、僕も手持ちのCDの中から、『大友良英 山本精一 ギターデュオ』をあげました。ボアダムスが大好きでボリスと共演できたのがスゲー嬉しかったみたいな事を言ってたので楽しんでもらえるかと。
「It's just only feedback guitar. So Cool!!」なんつって。

大友良英 山本精一 ギターデュオ

最後にはDo the robotのマットもやってきて、僕もレコード集めてるから見せてなんて具合に盛り上がりました。彼もDo the robotのステキなレコード(写真のカンガルーのやつ。ジャケは奥さんのサラによる手作りで全て違う。)をくれたので、僕もお返し7inchを渡したりと思わぬ交換会に。

ステキな国際交流ができました。また日本きたら誰そ彼やるからね~と約束したので、そうしたらまたRocket or Chiritoriさんもお呼びして、再度異国間同窓会がしたいです。

---

明けて今日は、なんだか無性にカレーが食いたい気分になり、昼下がりに自転車でぶらり「まめ蔵」へ。なんかご飯の量が減ったかな?と思ったのですが、食い終わるとやはり結構な満足感。ルーが重たいからなあ、まめ蔵のカレーは…。らっきょうもおいしいから、与えられた分を食い切ってしまう。

遠野奇談

そして食後のコーヒーと共に、買って読んでなかった佐々木喜善の文章を集めた『遠野奇談』を読みました。佐々木喜善は、柳田國男の『遠野物語』の話者となった人物で遠野出身。元々作家を目指していたので、『遠野物語』発刊後も昔話収集を続け、いくつかの本を出しています。この功績を讃えて金田一京助は、彼のことを「日本のグリム」と呼んだとも言われています。病気で早く亡くなった為に、柳田民俗学の陰に隠れてしまったという印象の"不遇の人"のイメージですが、とても興味深い文章が多く残っているのです。

『遠野物語』は最早ファンタジーの国のお話のような距離感がある上にかなり文学性が高い文章だと思うのですが、佐々木喜善のほうが同じ遠野についての文章でももっとダイレクトでリアリティのある感じになりますね。そこが面白いです。
まだ読み途中ですが、既に僕の"志怪棚"に収めたくなるような、イイ話満載で、胸が何度も高鳴りました。佐々木喜善の事でいずれ何か書くと思います。

まめ蔵を出て吉祥寺をぶらぶらしていると、武蔵野市立吉祥寺美術館で『写真と民俗学 - 内藤正敏のめくるめく東北』なる写真展をやっていて、「うわ!遠野だ!!」となって思わず飛び込みました。
内藤正敏さんは25歳の時に出羽湯殿山 注連寺で即身仏を見て衝撃を受け、それ以来東北の民間信仰や修験道の研究の道に入ったという、写真家であり民俗学者なお方。
東北地方のお婆さんを白黒で写した「婆バクハツ!」は、岡本太郎の撮る東北の写真に似てるなーと思ったら、やはり影響を受けているようで内藤さんがプリントを担当した岡本太郎の東北写真集が出ていました。

元々は理系の人で、初期作品は化学薬品の反応の様子などを写した写真でSF小説の表紙になるような作風だったのに、即身仏との出会いから一気に民俗学の道へ進んだというのがすごい。
遠野も沢山撮ってます。正にさっきまで読んでた佐々木喜善の生家を写した作品や、その中でよく語られている早池峰山の神像などなど。
遠野を撮った写真家としては、森山大道もいます。(『遠野物語』というズバリなタイトルの作品集が出ている。)個人的な写真の好みとしては、やはり大道に軍配があがってしまいますが、遠野のお婆さん達を写したいくつかの写真や、霊柩車の写真など、いい写真が結構ありました。
僕も何年か前に遠野へ旅行した時の事を思い出し、胸を熱くする。また行きたいなあ、遠野。

遠野の昔ばなし

そして11月1日には同所 音楽室にて内藤正敏さんご本人の講演会「宮沢賢治と佐々木喜善 - 東北で生まれた新しい学問」があるとの由。何ヶ月か前に宮沢賢治マイブームもあったもんで、僕にとってはかなり魅力的な講演会。無料だし、早速予約しました。(遠野市と武蔵野市は友好都市らしいです。)▼

投稿者 Takuya Endo : 06:54 PM | コメント (0)

May 27, 2009

他力本願でいこう!2009、怪談文芸ハンドブック、幻想文学第44号

andrea_flyer_for_web.jpg

*「いよいよ今週末に誰そ彼 Vol.14をやります。スイス人のAndreaによるミニマルテクノ VS 尺八奏者のKenji Ikegamiさんという組み合わせは絶対に面白いはずなので、空いている方は是非遊びに来て下さい!!

http://www.taso.jp

それとこの夏もお楽しみ、恒例となりました『築地本願寺ライブ 他力本願でいこう!2009』も動き出しました。先日、第一回目の打ち合わせを行ないまして、今年もなかなか面白いイベントになりそうな手応えを感じました。8/22(土)開催予定ですので、今から皆さん空けておいてください~。

サイトもオープンしました。
http://hongwanji-shutoken.net/tariki/
杉生Pがtwitterに初挑戦中です。応援しましょう。

過去の本願寺ライブの写真~。
漁港

あと、宣伝が続きますが誰そ彼メルマガ『誰彼通信』の第二号も無事発行と相成りました。1ヶ月遅れでバックナンバーをサイトに掲載していっています。こちらをご覧になって興味をもたれた方がありましたら、是非ご登録願います。登録は誰そ彼サイトの左上のテキストボックスにメールアドレス(PC推奨)を入れて送信頂くか、僕に直接メールでアドレスを送ってください。

誰彼通信のバックナンバーはこちら
http://www.taso.jp/cat/

僕は『たそがれ往来紳士録』という連載をしています。"3分間でわかる異界のモノ達"をテーマに、短いテキストの中であっちとこっちを行き来している曖昧なやつらの愛おしさを伝えていきたいと思っています。(NO.002にて既に長文化が進んでいますが…)

怪談文芸ハンドブック

そのNO.002では太歳をテーマに取り上げてみました。最近の僕の中国への興味を徐々に出していきたいなと。その最初の試みが太歳です。
東雅夫さんの『怪談文芸ハンドブック』という本がとても便利でタメになるのです。これは"史上初!「即効性」怪談入門ハンドブック"を謳っておりまして、確かにこれは「即効性」!怪談の起源と捉えられる古い話から、どのような変遷で現在に至るかをスッキリと体系立てて見られるのが嬉しい。おぼろげながら知っている知識が、徐々に位置を持ち自分の中で整理されていく感触が気持ちいいです。引用も絶妙で、書名の羅列も安心感に繋がります。読みたい本が一気に増えて大変です。

怪談の歴史を紐解く第二部の第一章「古代の文学と怪談と」では、中国における怪談文芸の系譜を紹介しています。このパートだけで、暫くの僕の中国熱を満たしてくれる書名がいくつも手に入りました。
取り敢えず、竹田晃さんという方が六朝志怪や唐代伝奇研究のエキスパートとの由、彼が寄稿している『幻想文芸 第44号』を入手してみました。特集は「中国幻想文学必携」という事で、今の興味にずばりな内容です。竹田晃さんの文章の中で早速とてもグッとくるご指摘を引用
“中国の冥界は山道を歩いているうちについ迷いこんでしまう土地であったり、再生の許しを得た場合には自力で歩いて帰れる範囲に想定された世界であったりする。”
…そうそう、こういう"ご近所異界"な感覚に惹かれます。境界がはっきりとせず、ゆるやかに異界に迷い込んで、ゆるやかに帰還。切り替えのタイミングが定かではなく、そのポイントを想像するのが楽しいという。

幻想文学44

同書には14年前の京極夏彦さんのインタビューも掲載されてました。ちょうど、『狂骨の夢』が刊行される頃。この当時に「怪談の瀕死」を指摘されており、怪談の復興をしたいとおっしゃってます。実際この後、ご自身でも怪談をテーマにした作品を書いてヒットさせたり、最近では『耳袋』を現代語訳&アレンジした『旧怪談』等の作品も出したりと、本当に"怪談復興"に携わり成功させている。東雅夫さんが『怪談文芸ハンドブック』のような良い本を出したというのも、この脈々と続く"怪談復興"のひとつの到達点だと思います。▼

投稿者 Takuya Endo : 12:43 AM | コメント (0)

May 01, 2009

誰そ彼スピーカーその後、怪 Vol.26、1990

スピーカー乾かし中

*「誰そ彼スピーカー、先週末はこんなんなってました。前の所有者が空けた穴(壁吊り用?)を埋めるべく工作。木棒を小さく切ったものを詰めたのですが、ボンドがなかなか乾かなかったので照明を当てて乾かしました。木棒がハミだしているので、スピーカーの片耳から耳毛が4本づつ出ているような見た目になってます。奉行所でちょっとした羞恥プレイになっているのが可哀相なので、近々カットしに行ってやりたいです。

今日はスピーカースタンドが光明寺に届いたようです。ちょっとずつ一人前になっていくスピーカー達に愛着が湧きます。

怪 Vol.26

怪 26号は二度目のリニューアルを迎えてサードシーズンに突入しました。水木先生の表紙がとてもいいです。特集は「文楽」と「民話」で、これがどちらも素晴らしかった。写真ページでは文楽の人形のキモとも言える首(かしら)を紹介していますが、酒呑童子の第二形態がトラウマものの恐ろしさ!瞳孔開いてる感じで白目の色が金色になるのがとても怖い。チャッキーみたいなアゴも人形ならではの不気味さがあるというか…。水木先生が「油すまし」や「タンコロリン」の姿のイメージとして重用されたというのもナットクです。
この特集、妖怪視点で捉えているのもあると思いますが、とても文楽を聞きに行ってみたくなりました。7月にやるという馬琴の『化競丑満鐘』なんて相当数の妖怪ファンが集まるんじゃないですかねえ。狸や河童の首は見てみたい!怪オススメの演目として紹介されている『本朝廿四考』の狐を見ても本当によくできているので、否が応にも期待は高まります。

民話特集では松谷みよ子さんのインタビューを掲載。前に黒姫童話館でみた松谷みよ子展では語られていなかったと思われる情報が…。坪田譲治先生との出会いのエピソードですが、松谷さんの学校の友人がお腹を痛くして転がり込んだのが坪田先生の家で、そのまま図々しく居座ってしまったとの事。その友人に誘われて坪田先生と松谷先生が出会う事にわるワケですが、その友人って?だって野尻湖ですよ!お腹こわして転がり込むって…かなり武辺者っぽいのですがどなたなのでしょう。
インタビューの後の『松谷みよ子の妖怪民話』もイイ話が3話収められています。最初の二話の出だしで共通して"深いとろりとした淵があって"という表現がされていますが、"とろりとした淵"とは絶妙な形容ですなあ。思わず迷い込んでしまいそうな、幻想的な風景がぼおっと立ち現れてきます。日本物怪観光協会の天野行雄さんの挿絵も雰囲気が出ていてとても良いです。『蟹の湯治』の蟹がみんながよく知っているあのカニ。

お元気そうな水木先生の姿がたくさん見られるのも怪誌ならでは。こう言ったらなんか失礼になってしまうかもしれないのですが、とにかくキュートなんです。実の娘さんである水木えつこさんによる『遠野とお父ちゃん』では遠野のお祭りではしゃぐ水木先生が目に浮かぶよう。やはり娘さんはお父ちゃんの事がよく見えてらっしゃる。水木先生による遠野物語漫画化はとても楽しみです。
現在連載中の『水木しげるの異界旅行記』もオモチロイネ。と、片かなで表現したい気持ちでいっぱい。おならを異界の入り口に出来る方は水木先生以外におられません!
巻頭の『水木しげるの激写博物館』も本当にいいコーナーだと思います。水木先生が撮影された写真が一枚載っていて、その横には"水木先生にはこう見える"とでもいうような、その写真の"妖怪解釈"による絵が掲載されています。このオモチロサは文字では伝えきれないので、是非みなさん本屋で怪 Vol.26の巻頭カラーページをめくってみてほしいです。

1990

今日は会社帰りのユニオンにて買い忘れていたCDを購入、ダニエル・ジョンストンの『1990』です。前回のエントリーで紹介したベックの『One Foot In The Grave』に続く、"オンボロをリマスター"シリーズです。(勝手に命名)
僕はこの中の"Some Things Last A Long Time"という曲がとても好きなのです。映画『悪魔とダニエル・ジョンストン』でもキーとして使用されていました。
以前、友部正人さんのトークイベントで友部さんがダニエル・ジョンストンの曲をかけていたので、友部さんならこの"Some Things Last A Long Time"をどう訳すのか質問したかったのですが、その時は場にそぐわぬ感じがして思いとどまりました。
僕なら"因縁"と訳したい。誰そ彼の活動の中で"ご縁"という言葉が浮かび上がってくる機会が増えてきた時に、松本坊主が法話か何かの中で"因縁"という言葉を使いました。CD付属の歌詞対訳では「ずっと消えないものもある」となっていましたが、『悪魔とダニエル・ジョンストン』を観た時に"消したくても消えないもの"、"消したくないから消えないもの"、"意識せずとも消えないもの"、といった風に"因縁"のカタチもさまざまなんだと思ったのです。たくさんの"ご縁"で人々が繋がれているイメージが漠然とあった時に、それとは違うレイヤーで"因縁"という目に見えないネットワークの世界が表出したような気がして思わずハッとなりました。
"因縁"というとあまりポジティブなイメージの言葉ではないのですが、"腐れ縁"のような関係を自嘲気味に"因縁"と言ったりしますし一概には言えないと思います。『悪魔とダニエル・ジョンストン』においては、彼の周りには様々な"因縁"がめぐらされていて、それはふりほどきたくてもふりほどけなかったり、解きたくないのに勝手に解けていったりしていました。人の意思では操作できない"作用"。「Oh My Lord」なんて歌いたくなるキブンの時は"因縁"が脆くもかかり続けるつり橋の様にも思えるのです。
僕は"腐れ縁"を自嘲気味に言う"因縁"はカッコいいから好きですし、脆くもかかり続けるつり橋の様な"因縁"を信じ続ける橋の傍のダニエルにも大きなシンパシーを抱くのです。▼


投稿者 Takuya Endo : 12:55 AM | コメント (0)

March 29, 2009

野武士のグルメ、百物語

野武士のグルメ

*「以前誰そ彼にご出演頂いた久住昌之さんの『野武士のグルメ』を書店で見かけて思わず購入しました。装画は泉晴紀さんですが、"野武士"が飯を食っている場所は、僕らが2007年の暑い夜に初めて訪れた赤ちょうちん、そこで常連の久住さんに出会ったという思い出深い吉祥寺の居酒屋です。

色々思い出しながら遅めの夕飯のカレーをかきこみ、ビールをやりつつページをめくると、とてもおもしろくて一気に最後まで読んでしまいました。その間の消費瓶ビール(小)2本。
久住昌之 & BLUE HIPのアルバム『自由の筈』の帯には"全世代のツボを突いてる、笑ってホロリの「中央線ネイティブ・フォーク」ミュージック!!"と、書いてあります。この文句の"ミュージック!!"より前の部分はそのまま久住さんの他のお仕事にもあてはまるような気がします。年末、久々に飲む友人の誕生日が近かったので『孤独のグルメ』文庫版を買ってプレゼントしたのですが、なんかそういうちょっとした贈り物にも最適で、この面白さを誰かと共有したいと思った時に、それが誰とでも共有出来ちゃう懐の深さが凄いと思います。

今、東京は夜の1時過ぎ、カレーも食ってビールも飲んでおなかいっぱいのくせにこの本を読んだおかげで、こんな時間に冷やし中華が食いたい。麦とろ飯が食いたい。タンメンが、スキヤキが、昼下がりの井の頭公園で焼きそビールしたい…そんな気分で大変になっちゃってます。

久住さんのホームタウンである吉祥寺周辺の風景が度々登場してくるので、一時期近くに住んでいた身としては「これはあの店かな?」とか「そういえばサンロードにチェーンの牛たん麦とろ定食屋あるなあ」とか色々浮かんでくるのも楽しい。また吉祥寺周辺に住みたいなあ。
僕が住んでいた"吉祥寺近く"というのは、この本の中で「吉祥寺から新座栄行きのバスで北上すること十数分」と書かれている西武新宿線 武蔵関です。「武蔵関は杉浦日向子さんが住んでいた街だ。」というのも久住さんに教えて頂きました。正に「死んだ杉浦日向子と飲む」の項で久住さんが飲んでいる、杉浦日向子さんの遺した焼酎ボトルを指差しながら。
杉浦日向子さんの事を回想しながら久住さんが歩く武蔵関の駅前もよく知っています。銭湯は家の近くにお気に入りがあったので、駅前のほうには入った事がないけれど、なんでこんな場所に?といつも不思議に思っていました。武蔵関の部屋では僕もライ・クーダーをよく聴きました。杉浦日向子さんと久住さんの共通の音楽の趣味だったとの事。武蔵関の帰り道に買ったという新譜はどれだろう?猫のジャケのやつかな?
僕としては2~3年くらい前の思い出なのに、久住さんの思い出と何故か勝手にフラッシュバックして、僕の武蔵関の思い出もまるで遠いように思えてきました…。もうちょっとビールが飲みたいな、なんて思いながらも明日は花見を予定しているので余力を残して床につく事にします。ライ・クーダーの猫のジャケのやつを聴きながら。

オマケ
2008年10月25日にやった誰そ彼で配布したフリーペーパーに載せた、杉浦日向子さんの『百物語』についての文章を以下に再掲載します。ちょうどユリイカで特集号が出た時にそれを読んで書いたものです。

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シリーズ百鬼巡礼 十一夜
[ 怪異の解体と構築 ]

◆ アナタとワタシ、オバケとヒトの関係性

妖怪のどこが好きかと聞かれたら「深刻でないところ」と答えたい。驚かされたり、不思議な気持ちにさせられることはあっても、命までとられることはまずありません。人に害を及ぼすモノが存在したとしても、必ず何かしらの対処法が用意されています。
例えば"ひだる神"。コレに遭遇した場合、空腹感を覚え身体が動かなくなりひどい時にはそのまま死に至る、とものの本にはありますが、僅かでも食べ物を口に入れたり、手に米と書いてそれを嘗めれば回復するという攻略法も出ています。
子供の頃は、TVアニメの『ゲゲゲの鬼太郎』のエンディングで映る"枕返し"の姿に戦々恐々としていましたが、今思えば"枕返し"がする事といえば何てことはない、枕をあらぬところに飛ばすだけ、それだけの事です。それだけの事でも自分が寝ぼけて蹴っ飛ばしたのだと納得するより、"枕返し"のような存在がなんかしたと思うほうが(今思えば)楽しいものです。
こういったエピソードから昔の人々の暮らしや文化が垣間見える点も良いです。前述の"ひだる神"は遭難への警告となっていたり、"枕返し"は物を粗末に扱わない事といったような教訓がかぶせられていますが、それらをひとつひとつ剥くように辿っていくと、その間は先人の素朴な生活にはいりこんで旅をしているような気分になれるのです。かの京極夏彦先生も「妖怪研究はらっきょうの皮を剥くようなもので、その過程がたのしく、全部剥いてしまえば何も残らんのです」とおっしゃっていました。

そんな、怪異との「深刻でない」お付き合いのお手本が描かれた著作に杉浦日向子先生の『百物語』があります。一話語るごとに一つ灯心を消していく、所謂"百物語"の作法にのっとって紡がれていく九十九話の怪談。「まるで江戸に見に行ってきたよう」と形容される、精緻な時代考証や多岐に渡る引用でもって江戸に生きる人々が関係する怪異を鮮やかに描いています。
『ユリイカ 10月臨時増刊号 総特集 杉浦日向子』に再掲載されている中沢新一氏との対談『怪談都市、江戸。』の中で、杉浦先生は「日本の多くの幽霊は(西洋の幽霊のように目的意識が無く)'なんでわし、こんなとこ、おるんのやろ?' みたいに(迷うている)」それで「出てこられたほうも'しょうがねえなあ'という感じで面白い。」と語られていますが、『百物語』には「そんな感じ」が至る場所に表出しています。この「感じ」は怪談にドラマ性や教訓が持ち込まれる以前の、謂わば"怪談の原風景"とも言えるものでしょう。これらのシーンを杉浦先生は「場面のパズル」のワンピースと喩えられています。勿論それらのピースを組み上げるのが作家である杉浦先生の仕事でした。

また同対談では、昼と夜、この世とあの世をくっきりと分けたがる西洋の傾向に対し、日本には"誰そ彼どき"や"橋"といった"中間"が存在するという事の重要性を指摘されています。この、薄明で曖昧なエリアの存在が怪異を日常に受け入れる土壌となったのだというわけです。江戸も自然と文明の境界線という意味ではこのエリアに属するようで、そんな未成熟な"都市"に住み、不安定な"時代"に生きる人々の暮らしをなぞっていくには怪異というツールはある意味とても有用だったのだと思います。怪談の原風景を掬い取って再構築する事で"活きた江戸"を甦らせた杉浦先生は、実は"らっきょうの皮剥き"のほうの大先輩でもあったというわけです。 (文・遠藤卓也)▼

::過去の関連エントリー::
2008年7月 - 久住昌之&BLUEHIP→いとうせいこう&ポメラニアンズ≡→サーファーズオブロマンチカ(ジンキチつながり)
2007年12月 - 関のボロ市(武蔵関つながり)
2007年8月 - ルドンの黒、ジュークボックスに住む詩人(2007年の暑い夜つながり)
2006年7月 - 付喪神(つくもがみ)(武蔵関つながり2)

投稿者 Takuya Endo : 01:58 AM | コメント (2)

March 24, 2009

バーナード・リーチ、陳舜臣

リーチ

*「昨年、日本民藝館で購入した一枚の絵葉書。バーナード・リーチの『鉄砂抜絵巡礼文皿』という作品です。"幽霊"と"Ghost"のあいのこのような、この幽かでいとおしい曖昧な姿にすっかり心奪われ、リーチのファンになってしまいました。民藝館の売店では湯呑みやご飯茶碗やら買うものがいっぱいあったせいで、後回しになっていたリーチの著書『バーナード・リーチ日本絵日記』を漸く買って読んでいます。リーチが日本に滞在していた約一年八ヶ月の間に書いた、日記やイラストをまとめた本です。頭っからやっぱりひっかかるところが多くて嬉しいので、忘れないようにメモしときます。

日本を訪れて半月ばかりのリーチに"亀ちゃんの従妹"という人物が訪ねてきます。亀ちゃんとは本名森亀之助と言い、13歳の時にリーチに弟子入りするも、早発性痴呆症を発症して精神病院に引き取られてしまったという人物。リーチは「あの頃の私にもっと洞察力と将来の見通しがあれば、まだ年端のいかない子供が外国人のもとで藝術の修行をするということは、彼の将来をただ困難にするだけという事が事がわかったのに」、と後悔しています。"亀ちゃんの従妹"から亀ちゃんの死を知らされたリーチは「気の毒な亀ちゃん!君の人生の目的はなんだったのだろう」と嘆きます。回想の中で、亀ちゃんはウィリアム・ブレイクやセザンヌやヴァン・ゴッホを愛したと語られるのですが、僕は民藝館で見たリーチのひとつの作品を思い出しました。それは『鉄砂抜絵組み合わせ陶板 森の中の虎』というもので、ウィリアム・ブレイクの有名な一節 "TYGER TYGER BURNING BRIGHT IN THE FOREST OF THE NIGHT" が彫られた幻想的な作品なのです。

他にも、民藝館が米軍の焼夷弾で燃えそうになった時、柳兼子(柳宗悦夫人)がバケツとほうきで火に奮闘して救った、などのいい話がいろいろと…。また、"日本を愛する外国人"としての先輩であるラフカディオ・ハーンの引用や想起が多い点も興味深いです。ハーンにも『日本の面影』と題された、同じような日本滞在記が出版されていて僕はこれも愛読していますが、客観的な視点から捉えた当時の日本を読めるというのは本当に面白い。ハーンだけに、焦点はやはり習慣や信仰に集まっていますし。
僕は、今よりもっとお化けや妖怪とか見えない存在がのさばっていた時代の人々の生活や信仰を知りたい。どんな事に価値があって、何を信じて彼らが生きていたのか、等など…。
最近何故だか突然三国志にはまって二種の三国志を同時に読み進めているのですが、英雄や豪傑の活躍に描写が集中している本よりも、その頃の民衆に近い視点が描かれている本の方が面白いです。当時まだまだ文化や思想は上層の人々のものでしかなく、信仰は道教を利用して組織化を図る宗教団体が現れ始める頃。西域からは仏教が伝来し始めるも、"生きとし生ける全てのもの(=sattva)が救済される"ということが、儒学の人間主義が浸透している中国人には理解できないだろうという考えから、sattvaを"人民"と訳してみるとか苦戦中だったりで。(sattvaは原文では亡霊や精霊も含まれるとの事)
戦争とか飢饉とかトラブル頻発で明日の食うものにも困るような殺伐とした時代に生きる"人民"達は、亡霊を恐れる事はあっても精霊を感じる事はあるのだろうか?とか、信仰に縋る事はあっても文化に親しむ余裕はないんじゃないか?とか、そんな事がとても気になります。

二種読んでいる三国志で後者にあたる面白いと思った本は、陳舜臣の『秘本 三国志』です。ユリイカ3月号の諸星大二郎先生インタビューにて先生が執筆にあたって参考にしている本として「陳舜臣の『中国の歴史』なんかが重宝するんです(笑)」なんて(笑)付きが意味深な感じで挙げていて…、でもちょうど『秘本 三国志』を読んでいるので副読本として『中国の歴史』も求めてみました。併読するとやはり更に理解が深まって良いです。先生は参考にしているポイントとして『山海経』や『捜神記』などの怪しい方面からの引用が多い事を挙げていますが、『山海経』も気になるんだよなあ、最近。モロ☆先生と三国志の影響で、中国の神話や歴史にこれから潜ってみたい心境なのです。▼

::過去の関連エントリー::
2007年8月 - ルドンの黒、ジュークボックスに住む詩人(Ghost画つながり)
2007年7月 - Japanese suburban symphony(民のくらしつながり)
2004年8月 - ENCHO'S GHOST(幽霊画つながり)

投稿者 Takuya Endo : 11:49 PM | コメント (0)
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