February 11, 2010
quiet loud quiet
Solid Steel Radio Show 29/1/2010 Part 3 + 4 - Strictly Kev by Ninja Tune
*「昨晩寝る前にTwitterのタイムラインを覗いてみたら DJ FOOD がBrian EnoしばりでDJ Mixをしている音源へのリンクがありました。寝よう寝ようと思っていたのに聴き始めちゃったらこれがかっこよくて眠れなくなってしまった。Eno Mixなのに観点がアンビエントじゃなくって、「Funky Eno!」これは素晴らしい。そして眠れるワケがない。
俄然盛り上がってきたのでひとりワインをあけてガブガブやりながら連想ゲームが始まり、細野晴臣、Massive Attack(新譜よかった!)、YMO、Sly & The Family Stone...と勝手に深夜の選曲タイム。
Brian Enoのファンクネスとアンビエンスの対比はそのままがっつり細野さんのキャリアの一部とリンクするような気がしてならなかったり。YMOが昨年Massive主催のフェスに出演したことや、映画『ハイ・フィディリティ』で少年が盗んだレコードの中にYMOが含まれているシーンを思い出したり。
これらとりとめもない連想はいっこうにまとまらず、こんな気分を文章にしたいけどできないなあと思いながらも、最後はキヨシローを聴きながらその旅を終えることにしたのですが、今になってまたむくむくと伝えたい気分が湧き上がってきたので筆をとってみた次第です。
実はその夜 YMO / Technodelic を聴きながら読んでいた雑誌が一冊。先日、下北のレコ屋で800円で入手した『H2』という雑誌の創刊号(1991年)。細野晴臣責任編集で、刊行はなんと筑摩書房から。冒頭のインタビューで細野さんはこう述べられています。
「たとえば、情報というのは、ビタミン剤のような、錠剤のようなものもあるし、安曇野の水みたいな、最近のミネラルウォーターみたいなものとか、そういうのもあるし。どちらかというと、今巷に溢れているのはビタミン剤みたいな、非常にドライなものばっかりですよね。そういう意味ではギスギスし過ぎている。目的を持ちすぎているというか。」
このインタビューから既に20年が経過していながらも、情報の即効性・即物性の側面は今尚加速し凶暴化し続けています。ビタミン剤がもはや劇薬と化しているかのような状態にも見えますが、Twitterなんてやっていると知らないうちに情報の選別作業ばかりをしている自分を実感するのです。
んで、更に細野先生は「今一番大事な能力というのは選ぶ能力だから。」とまで述べてしまっていらっしゃるのですが、実感としてはいれたくもないインプットで思考をかき乱される可能性は増殖し続けている。水もビタミン剤もどちらも必要な事は明白なのだけど。
それに繋がるような気がするのですが、田島貴男さんが最近の日記に以下のように書かれていました。以下引用
「時代はどんどん複雑になっていってシンプルへ戻ることはなさそうなんだな。
人が子供から大人になれば、物事が複雑で多面的に見えてくるように、
これから時代がもっと大人になるほど、物事はもっと複雑になってゆくみたいだ。
でも萎縮したりあわてたりしなくていいんじゃないのかな。
だからといって「かんけえねえ」って、
逆ギレしたりヒステリックになったりしなくてもいいんじゃないかな。
ふつうに朝起て顔を洗って元気を出して、
速くなってゆく変化について、複雑になってゆくことについて、
いろいろ感じ取ったり、見方をもう一つ増やしてみたりして、
思いめぐらしていったらいいんじゃないのかな。」
田島さんの言葉ってなかなか難しい内容をシンプルにさらっと出してくるのでいつも感心してしまいます。このブログでも何回か彼の言葉を取り上げさせてもらっていて、僕は人生で唯一ファンレターを出したことがあるくらい(笑
しかも、自分が気になっている問題に切り込んでくる言葉が多くって、驚いてしまいます。
そして先日のAXでのライブも凄くよかった。真冬のくせにめちゃくちゃ暑苦しい男のラテンロック!!懐かしい曲も4人編成のバンドアレンジで鮮やかに生まれ変わっていた。情報をちゃんと選び取っている人にしか出せないロックだと思う。僕の心と体は乾いた砂漠の如く、豊かなOriginal Loveの音楽がスーッと沁み込んで来ました。
細野さんの言葉なんてもはや20年前であるのに、今の僕の心に染み渡ってきた。これもすごいこと。正に安曇野の水のようです。
そこで20年前の細野さんが提言しているのが"クワイエットな気分"。"クワイエット"、これはなんだろう?ソウル・ミュージックほどガッツはなくって、ニュー・エイジを拒んだ人々が目指す、苔の様な、強靭で地味で、原始的で効率のいい…"過激な静けさ"とは!?
クワイエットの謎を解くカギが前述の田島さんの文章にあるような気がします。「ふつうに朝起て顔を洗って元気を出して」という一文が正にクワイエットな気分だと思うのです。そのクワイエットな気分の中で「変化について色々と感じ取ったり、見方をもう一つしてみたりして…」
つまり、"差"について敏感にあれ、というか。ハレがあってこそのケで、ケがあってこそのハレだということ、そのことについて意識的に暮らしていくこと、ですかねえ。。。だからEnoも細野さんもアンビエントだなんていいつつも、根っこはけったいなファンクを内包しているのです。
『遠野物語』が今年100周年だそうで、水木しげる先生が遠野物語を原作とした漫画を出版されたのですが、改めて読み返してみると本当にケ・ムードが蔓延しきっている本だなあ。というか、遠野物語も情報なのですね。よく考えてみたら100年前にもちっと前の事を振り返ってみました、という情報。柳田マジックで文学作品という属性も付与されているわけですが、あくまでも語りを書き起こしただけの、情報。
ただ、この情報は非常にクワイエットなもので、100年かけてじんわりじわじわと平地人を戦慄せしめているのです。水のように。
僕もクワイエットな気分が少しわかってきたかな。こうやって自分の日々の暮らしの点を結んでみたら、じわっとクワイエットな何かが浮かび上がってきたという気がする。いや、既に大事なのは"気分"という言葉にシフトしているかもしれない。自分の暮らしを支配する"気分"。
pixiesのドキュメンタリー映画で『Loud Quiet Loud』というタイトルがあったけど、『Quiet Loud Quiet』くらいのペースの気分が僕や誰そ彼には程良い感じがするね。
tとL、dとQの二つの半角スペースを大切に楽しみつつ、水のような言葉を紡いでいけたらいいなあ。▼
10/02/14 追記:田島貴男さんのtwitterより引用
「音楽は情報であると同時に、大昔からずっと人が抱いてきた、気持ちいいとか寂しいとかの、気持ちの振動なんだな。」











