June 17, 2009
志怪棚 一段目
*「この頃志怪に心惹かれています。志怪とは乱暴に言ってしまうと中国の怪談という事になるのですが、厳密に捉えるならばチト違う。『怪談文芸ハンドブック』によると、志怪とは文字通り「怪を志す(しるす)」という意味で、怪異奇聞を“あったること”として記録することに主眼が置かれていたとの由。つまり実話志向というか、寧ろこの志怪をもってして「世の中には不思議でないものなどないのです。」という事を明らかにしてやろうくらいの気迫で集めた怪異な記録集なのです。志怪は漢代末に始まり、唐代に入ると段々と物語へと移行していき、伝奇というジャンルが成立するわけですが、どれが実話でどれがお話かなんて判断はそもそもが不可能なので、結局その境界は曖昧です。
志怪に限らず古今東西の不思議な話を読んでいると、どうしたって忘れたくない愛すべき、または恐ろしい話があるのです。それが実話かどうかはいいとして、寧ろ実話だったら素敵だな、または怖いなという意味を込めて僕は僕なりの志怪を集めてみようかなと思っています。それをMy志怪棚に納めて、いつでも参照できるようにしようと。
今の時代、なかなか口承を収集するのは難しいですから、どうしたって活字からの採録になるわけですが、まるまる複写も芸が無いので、事実を曲げない程度に僕なりにエディットしたいと思っています。収集対象も別に古い中国だけに限定せず、国も時代も媒体も嘘も本当も構わずにいきましょう。
というわけで、そんな志怪棚の一段目をおおくりします~
■ 志怪棚 一段目
一、山中にて宴をする人々あり。人々は次々と肩車をし始め、どんどん梯子のように高く天に向かい伸びていった。遂にそれはぱたんと倒れ、道となった。(聊斎志異より)
二、夜中に拍手の音や声がする。あやしんだ家人が音のするほうを覗き見ると、それは枕としゃもじであった。(捜神記より)
三、日本橋は茅場町にある錦という鰻屋での出来事。錦では鰻の他にも泥鰌(どじょう)や泥鼈(すっぽん)も扱い大変繁盛していた。中庭には大きな池があり、沢山のすっぽんが放されていて、天気のいい日には池から出てきて岸や岩で遊ぶのが見られる。
ところで、客が奥座敷に通り鰻やどじょうを頼んだ際は彼らも平気で遊んでいるが、ひとたびすっぽんをあつらえると、彼らは不思議にも皆池の中に飛び込んでしまうという。(曲亭馬琴の知人、関氏談)
四、京で名高いすっぽん屋に、或る人が3人連れで食べに出かけた。門口に入るとひとりの男が立ち止まり、俺は食うのをよそうと思うと言う。他の2人もすぐに同意して引き返してしまった。見るとお互い顔の色が変わっていて、一、二町の間は黙って歩いていた。やがて1人の男が、やめると言い出した男にむかって「何故食うのをやめたのか」という質問をした。その男は身をふるわせて、実に恐ろしい事であった、店の帳場のわきに大きなすっぽんが炬燵に寄りかかっていたので、不思議に思いよくよく見ると、すっぽんではなく店主であった。…それを聞くと他の2人も溜息をついて、実は俺たちも同じものを見たのだと言った。(伴藁蹊談)
[コメント]
(一)と(二)は初っ端なので志怪と言えば!な、二冊より。こういう短くて少し不思議(SF)な感じのが好み。(一)なんて、怪談じゃなくってまるで詩ですね。しりあがり寿さんが漫画にしたら良さそうなお話です。
(三)と(四)は曲亭馬琴の『兎園小説』に拠る。友達の少ない馬琴が珍しく親しくしている関氏の家で、同じく友人の鈴木有年も迎えて披露しあった魚妖数編より。関氏が口火を切った(三)はなんとなく浮かぶ絵も微笑ましい少し不思議(SF)調ですが、馬琴が「友達の友達の話なんだけどサ~」と語り出す(四)は恐ろしい。これは是非諸星大二郎先生に漫画化をお願いしたいです。実はこの後に更に怖い、鈴木有年の叔父の話が続きましてこれも鰻ネタでかなり志怪っぽいリアルな話なのですが、少々長くて生々しいので志怪棚には向かないかなと。気になる方は言って頂ければ僕が語りに参ります。▼











