March 18, 2006
妖・怪談義 第八夜
*「もう一週間前のお話になりますが、ロフトプラスワンにておこなわれた『妖・怪談義第八夜』に参加してきました。今回は寝不足が続いていたせいか恥ずかしながら舟を漕ぎつつの時間もあったのですが、僕なりにすくいあげた部分を記しておこうと思います。
妖・怪談義とは『新耳袋』で有名な木原浩勝さんによって開催されているイベントです。フライデーナイト21時より、未成年ではない、寧ろいい年の人たちが新宿歌舞伎町の地下に集まり朝まで化け物の話をするという素敵な催しです。木原さん他妖怪関連各所の様々な方々が登場し、各自の視点・方法でもって妖怪を語ります。今回は時間割りがうまくいかずに(みなさん喋りすぎてしまう傾向に)次回に持ち越された企画などもあったのですが、そんな(いい意味で)雑然とした印象の会の中でも、妖怪という得体の知れぬものを包括的に捉えるヒント(イメージ)がちゃんと浮かび上がってきた点に驚嘆しました。
全てはイベント最後のまとめとしてゲストの京極夏彦先生がおっしゃっていた「妖怪研究はらっきょうの皮を剥くようなもんです。皮を剥いていく過程が楽しいのであって全部剥いてしまえば何も残らんのです。」という言葉に集約されたように思ったのですが、その要素については以下です。
ライトノベル作家の東亮太さんによる「鬼太郎内における柳田妖怪と石燕妖怪の対立構造の成立」についての仮説の参考資料としてアニメ鬼太郎第四期シリーズの101話『言霊使いの罠!』がとりあげられました。この回は京極夏彦先生脚本によるもので、妖怪に明るい方が見たら涙が出る程えげつない、そしてアニメキッズ達が見てもわけのわからない妙な攻撃を仕掛けてくる難敵が登場します。敵の名は“一刻堂”、風貌は京極堂シリーズの中禅寺秋彦(キャラデザインもアフレコも京極先生ご自身のようです)「この世に不思議なものなど無い」というセリフも聞き覚えがあるこの陰陽道の使い手による大人げない攻撃は、「なまえをうばう」というものです。要は、いったんもめんとっつかまえて「オメーただの布きれだろ、なんで浮いてんの?」と突っ込んでしまうのです。哀れいったんもめんは名前を思い出せなくなりただの白い布きれになってしまいます…。これは先の京極先生の言葉に当て嵌めるとらっきょうの皮をいっきに全て剥がし取るようなものなのです。全部剥いてしまうと何も残らない。アニメでは白い布やカボチャが残りますが、それは何も無いに等しいのです。もちろんこのお話のほうはそのまま負けてしまうわけではなくなかなか泣けるオチがつくのですがそれはまた別のお話。
また、東亮太さんが前述の仮説を立証するガイドとして示したひとつのチャート図、手描きで5分で描いたという図ですがこれがなるほどと唸ってしまう面白い図でした。怪異・モノ・コトなどが伝播・分岐していき文化として表層化してきたポイントを捉えた図なのですが、このチャートを逆に(この場合は水木妖怪から)辿ってみると…、その行為こそ正に“らっきょうの皮を剥く”過程だとわかるのです。おおっ。
他にも思い返してみると、多田克己さんによる河童のお話、林田さんによる油ずましの調査報告、等など…みなさんのお話の中に“らっきょうの皮剥き”の過程が見られました。僕もいつかきっかけがあればらっきょうの皮を剥く側にまわってみたいなあと思ってしまう程、いい熱が高まる場でした。
追伸:同会場にて、このブログには何度も登場いただいている風眠庵こと加藤さんらが進めていた『妖怪反物計画~プロジェクトQi(チー)~』の発表がありました。「妖怪柄の反物を染めて、妖怪浴衣を着よう!」という企画です。加藤さんによる「ふらり火」をモチーフにした素敵な妖怪デザインの反物が購入できます。くわしくは下記URLから。
http://foomin.net/blog/archives/2006/03/post_68.html
加藤さんも妖怪を描くという方法でらっきょうの皮を剥いておられるワケですね。▼
「言霊使いの罠!」は未見でした。京極堂 vs 鬼太郎!すげぇおもしろそうだ!今度ビデオ探してきます (^-^;)。
「姑獲鳥の夏」映画版といい、これといい
憧れの作品・作家との関わり方として
なんだか一番羨ましい方法をやっておられます。
そして、“ぬかりはねぇ!”上にちゃんと理想を
達せられている辺りが流石京極先生だなあと感心しました。











